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はじめて読む方はこちらからどうぞ。

(2006/2/4更新)2006年新しい年にあたって(NPOニュース記事)
 この一年間のクラシック音楽の興行界を取り巻くグローバル化?は一段と進み、特に声楽の分野では日本人声楽家との実力の差を、これみよがしに見せつけるように、ヨーロッパ各国から競ってオペラ団が来日。地方公演もこなし、二期会、藤原歌劇団などの地方公演は激減しています。
 これらのことを考えたとき、日本の聴衆もいくつかの層に分断され、邦人のものは聴かず、マスメディアでも大きく取り上げられるスターが出演する高額の演奏会や海外から来るブランド性を求めて聴く層が形成され、日本人が出演するものは空席が目立つ厳しい現状が出現しています。
 その中で<おんがくの共同作業場>は、スター性やブランド性を求めず、オーケストラと歌うよろこびを拡げ、それらの芸術作品を演奏会のメインに取り上げ、また、子どもたちにもオーケストラつき作品の公演参加を進め、そしてコンサートを通してのベネフィット活動も継続するなど、独自の道を開拓しつつあります。
 昨年12月に行われた『メサイア』は原曲の半分を抜粋にして、オーケストラ曲、こどものクリスマス・メドレーでコンサートの色彩を広げ、広範囲な層の聴衆に満足していただけるようなプログラムにしました。
 また、東京荒川少年少女合唱隊の40周年記念演奏会は、こども合唱団がプロ・オーケストラに出演を依頼するという稀な取り組みをしました。これもオラトリオ・シンフォニカJAPANによる経済的、音楽的協力があってこそ、実現できたことです。また、大人の混声合唱団も加わったスタイルは、これからのコンサートのあり方のひとつを示唆しました。
 今年はモーツァルト生誕250周年でモーツァルトの『グレートミサ』と『レクイエム』に取り組みます。昨年の『メサイア』の成功にも刺激されて、都内3会場で行われている練習には、300名を超える合唱団員が参加しています。引き続いて10月にはH.J.ロッチュ氏を迎え、モーツァルト『レクイエム』の演奏会があります。また、12月15日には、ザンデルリンク氏を迎えてベートヴェン「第九交響曲」を予定しています。
 モーツァルト「レクイエム」を指揮するロッチュ氏は東西統合以降、西側での演奏ができません。唯一ザルツブルグでの夏の音楽祭時期に毎年5回から8回行われるカレッジ教会での『レクイエム』の連続コンサートは大好評です。そのロッチュを迎えての『レクイエム』は新たな感動を与えてくれるに違いありません。
 今年の3月にはレナルトを迎えて、新宿文化センター主催のヴェルディ『レクイエム』が演奏されます。新宿文化センター主催のオーケストラを迎えての大型のコンサートはこれが最後になるという情報があります。一流指揮者を招いてのマーラー『千人の交響曲』、『復活』、ベルリオーズ『レクイエム』など、文化センター開設以来20数年続いてきたこの種の大型コンサートも"民で出来ることは民へ"という文化行政の方向転換の中で消えていくことは嘆かわしいことです。一般の音楽愛好家が気軽に低料金で良質の音楽を楽しむ機会が、こうやって減っていくのかもしれません。
 これらの状況にあっても、合唱愛好家やプロフェッショナルな音楽家との連携を強めながら、子どもたちの音楽的成長に確信を持ち、自らの力でこの文化を継続し、次世代に伝えていく独自の方向を、私たちは模索しなければなりません。

(9/2更新)理事会の議題!
 9月4日の夜カンマーザールで理事会予定。事務局長の島原さんについては以前にも書いたが、理事には北村蓉子さん(医師)、伏見裕子さん(財団法人立川市地域文化振興財団評議委員・薬剤師・カンマーザールオーナー)、宮島信男さん(スポーツセンター経営)、宇敷 裕さん(合唱団員)山神健志さん(合唱指揮者)がいる。山神理事は、自らのホームページを作り、毎日更新するという離れ業を展開している。先日の麻生合唱団によるベートーヴェン「ミサソレムニス」では合唱指揮者としての力量を十二分に発揮したといえる。これだけの難曲をあの高さまで仕上げ、指揮者マイナルドゥスに引き渡すことは彼の実力を示したといえる。これからの活躍が各方面から期待されるだろう。他の理事の方達もそれぞれの自分の分野で大活躍をしている人である。本に書けば1冊では、書ききれないほどの内容のある生き方をしている。
 今回の重要な議題は、NPOの会員やそれをささえてくれている人達にとって、その存在と活動が意義あるものとして受け止めてもらえるような組織の構築を図ることだと思っている。既存の演奏団体や鑑賞団体ではできないようなキメの細かい活動で、音楽をする、聴く喜びが一人ひとりに届くようにと願い、その為にも有効な組織作りが急がれている。8月7日の「戦争レクイエム」は、海外から多くの人達を迎え、ホームステイや案内、食事作り、また目にみえないサポートに多くの人が参加し、収穫のある取り組みができた。この経験を踏まえながら、課題を追求していきたい。

(8/12更新)戦争レクイエムを終えて!
 8月7日の『戦争レクイエム』では日本を含む5カ国の共同演奏となり、海外からの参加者は約70名となり、我がNPOはその橋渡し役として、活躍できる場を与えられ、有意義な経験をすることができました。国が違い、言葉が違い、習慣も違い、ともすれば価値観が違うことがあっても、粘り強く話し合い、ひとりひとりの要求を満たせるよう、配慮を重ねていけば、よい解決の道が見つかることも発見でした。お弁当や、道案内、送り迎え、プレゼント交換・・・言えばきりがないほどの交流の積み重ねが、あの感動的な『戦争レクイエム』の演奏にもつながったのではと思っています。
 当日はノーベル物理学賞受賞者の小柴氏をはじめ、著名な方も多数見受けられました。また、演奏を聴き、字幕を見ながら涙する人々もいました。これらのことが一過性の出来事ではなく、恒久的に続くために、このNPOが創立されたことを思いました。まずは宣伝と加入のお願い!

(7/30更新)サンフランシスコ・ガールズ・コーラス教会コンサート!
 7月27日(日)台風が通り過ぎた猛暑の中、「サンフランシスコ・ガールズ・コーラス」立川教会コンサートが行われた。ウィークデイにもかかわらず教会は立錐の余地もなく、楽しみに聴きにきた人々で埋まり、見事に訓練されたこのガールズ・コーラスは、もうレディースといってもいい位の柔軟性のある音色豊かな演奏を聴かせてくれた。レパートリーは宗教音楽からジャズ、ミュージカルまで幅広く、また、「さくらさくら」や「ずいずいずっころばし」など現代的にアレンジされたものも見事に歌い上げた。
 日本からは、「オーケストラとうたうこども合唱団」「荒川少年少女合唱隊」、そして、そのお母さんお父さん方、それに、東京楠声会合唱団(男声)の方達が応援出演してくださり、≪こどもと大人のコラボレーション≫による初の舞台を創りあげた。また、ライエンコーアの女声合唱団やこども合唱団のお母さんたちが手作りの夕食を作り、彼女らをもてなした。
 彼女達はこの後、京都、札幌などで数回の演奏会をすることになっているが、このレパートリーの広さと柔軟さは、多分日本でも話題になるに違いない。その後東京に戻り、8月7日(日)に池袋・東京芸術劇場で「戦争レクイエム」の児童合唱への出演を控えているが、公演当日、開演前の13:30からステージで3曲程のプレコンサートがあり、彼女たちの歌声を聴くことが出来る。
 今回の立川でのコンサートは、初来日、初コンサートと言うこともあり、大げさに言えば、歴史に残る1ページ目を飾ったのである。

 なお、来年のことをいうと鬼が笑うが、来年7月に我がNPOは創立5年目を迎える。そしてこれを記念し、6月3日に池袋・東京芸術劇場で、モーツァルトの大作「グレートミサ」に取り組むことにしている。練習日は月曜日立川、日曜日秋葉原、週末小平でNPO主催として行う予定である。
これについては後日詳しく紹介させていただく。

(6/30更新)再度!サンフランシスコ・ガールズ・コーラスのホームステイ募集
 サンフランシスコ・ガールズ・コーラス44名、ケルンから14名、韓国から8名を迎えての「戦争レクイエム」コンサートまで1か月強となったが、彼らの宿泊や食事、交流、練習など具体的な詰めの作業に入り、担当者は大忙しである。
 おかげさまでホストファミリーの申し出は少しずつ出始めたが、このままでは駅のホームで野宿する子ども達がまだ若干いそうである。引き続き、受け入れを迷っている方がいらしたら、是非相談を含め、一声事務局に声を掛けていただきたい。
 今、世界と日本をとりまく政治情勢は厳しい。先日も東南アジアで日本語教師を務める元団員が一時帰国し話を聞いたが、日本政府の最近の言動はアジアの人々にとってあまりにも評判が悪いとのこと。若者たちの間では日本への関心はものすごく高いのに比べ、日本政府の言動は人々に怒りさえ感じさせてしまっているらしい。このホームステイを通じて、私たちができることはそれほど多くはなく、農民が一粒の種を蒔くことにも程遠いいが、1日でも2日でもともに生活することは平和への確かな礎となるに違いない。

(6/13更新)サンフランシスコ・ガールズ・コーラスのホームステイ募集
 7月の末から40数名が来日し、札幌・千葉・立川・東京とコンサート活動を続けるが、その内8月6・7日と東京でホームステイをすることになり、そのホストファミリーを募集している。
 私も狭い家だが、海外のお客さんのホームステイをよくしたものだ。短い間だが、言葉が通じないときには、手振り、身振りでのボディラングエージでお互いに意思を通じあい、音楽という共同作業を通じて友情を築きあげられる。中学生や高校生をお持ちのご家庭には是非お勧めしたい。ありのままの日本人の生活と文化を見てもらい、語り合うことがどんなに楽しいか、わかるに違いない。
 つい数日前、サンフランシスコ・ガールズ・コーラスのマネージメントを勤めているペイジ女史から、この交流を日本でもアメリカでも、続けていきましょうというメッセージが届いた。グローバル化が叫ばれているが、利益優先のグローバル化ではなく、友情の架け橋としてのグローバル化がその底辺になければ本物とはいえない。是非ホストファミリーのご協力をお願いしたい。 ↑top

(5/24更新)5/22芸術劇場 指揮:ザンデルリンク ブラームス、スッペ万雷の拍手 
 5月22日のオラトリオ・シンフォニカJAPAN3周年記念、東京オラトリオ研究会、小平コーラス・アカデミー、コール・ロベリア総出演によるブラームスの『第1交響曲』と、スッペ『レクイエム』の演奏会は、NPO設立時の念願を実現したものと言える。実力あるプロフェッショナル・プレイヤーによって組織されたオーケストラ<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>と共に、プロ・アマの壁を乗り越え、一体感のある演奏表現をすることができた演奏会であった。
 終演後、ロビーに設置されたNPOのコーナーに当日のライブCDを申し込みする人があふれたことにも見られるように、お客様にとっても想像を超えた感動であったに違いない。毎年、数千人の音大生が卒業し、そのうちの限られたわずかな者しかステージを踏むチャンスは与えられない。一流のプレイヤーになるには、演奏能力は当然ながら様々な価値観を共有し、それを発展させていくことに喜びをも感じる豊かな感性と人間性を持たなければならない。プロ・アマにかかわりなく音楽集団は社会の縮図でもあり芸術創造集団としても燃え滾るような焔を持たなければならない。それらの活動を手助けする≪NPOおんがくの共同作業場≫もまた、多くの経験を積みながら音楽を何よりも愛する演奏家、作曲家、合唱愛好家、聴衆らによって、焔を燃え滾らせる組織に発展させなければとおもう。

(4/24更新)長年連れ添った?ムーちゃんのこと
 私が合唱団の指揮を始めた時、テノールで歌っていたのがムーちゃんである。だからもう35年以上のつきあいになる。彼の奥さん妙子さんは、大阪の合唱団で歌っていて、今でいう遠距離恋愛で結ばれた。大阪でのコンサートの時、僕は一緒に行かないかと誘われ、のこのこ付いていったが、いつの間にか一人ぼっちになって、さびしく安い木賃宿に泊まったことを覚えている。多分デートしていたに違いない。それから2〜3年後代々木の全理連ビルで仲間たち主催による暖かい結婚式が催され、指揮者外山雄三氏からの祝電も披露された。
 彼は実に真面目なサラリーマンというより労働者である。朝早く出かけ、自分の仕事の責任を果たし終わるまで残り、誰よりも遅く家路に着く。働き盛りの頃は練習に出られない時が何年も続いた。そんな中でも歌い続けてきた。
 この3月15日定年を迎え退職する筈だったが、後任がいないということで延長になり、勤務先で4月に脳梗塞で倒れた。幸いにも軽症だったが、退院したムーちゃんに電話をして、「タバコと仕事はもうやめろよ」というと、にやにやと笑いながら「心配かけて悪かった」とはっきりとした口調が返ってきた。退職したら温泉に行こうと約束していたのに、それも少しのびそうだ。
 ムーちゃんのことはひとごとではない。冗談で言っていた事が本当になってしまった。ゆっくりと時間をかけて体を元に戻し、元気に第二の人生に踏み出して欲しい。心からの祈りである。 ↑top

(4/14更新)島原事務局長宅の6本の桜
 満開の桜を見る予定が散り始めた桜になってしまったのは残念だったが、わずか180円で数十センチしかなかった6本の苗木が20年弱たって見事な大樹に成長した島原事務局長の庭を見に行った。多分本人もこんなに立派になり楽しませてくれるなどとは夢にも思ってなかったに違いない。しかし、月日は予想もしていなかった展開を見せたのである。その散り始めた桜の向こうの田んぼが見える田園風景も楽しかったが、世界中から集めた仮面のコレクションも見事だった。オーボエの前川氏も途中から加わり、前日のコンサートの反省会とあいなった。ビールなしで奥さんの手作りのお寿司とケーキで胃袋も満足。桜の成長と共にNPOの発展を思いつつ家路に着いた。↑top

(3/31更新)新たな会員〜地味な活動のいく先〜
 今週、賛助会員が2人加わってくれた。私達の活動にはバックボーンやスポンサーがなく、会員を増やし、一人ひとりが繋がりあって音楽の在り方を考えていく非常に地味な活動である。大きなマスメディアから見れば、アリのような存在であることは自覚している。しかし、実際に人々の生活に必要なのは日常性や地域性といった身近なところに音楽が存在するのではなかろうか。合唱ももっと気軽に誰でもが参加できるようになればと思っているが、なかなか難しい。このNPOは、その事への挑戦なのだ。一つ一つのコンサートに確かな成功と手ごたえを求めつつ・・・  ↑top

(3/24更新)「戦争レクイエム」に新たな参加者
 事務局長の島原さんはラオスに行った。そのせいか事務所は静かであるが、花粉症と風邪が蔓延し、頑丈な彼女らもダウン。しかし、先週送ったDMの反応はあり、うれしい忙しいの日々。
 先日、外人の為の専用ガイドをしている合唱団員のKさんから連絡が入り、サンフランシスコから〈ガールズシンガーズ〉が7月〜8月にPMFより日本に招かれており、その機会に何か共演したいとのこと。是非何か実現したいと返事を送り、楽しみがまた増えた。

(3/18更新)春、アラカルトなNPO主催名曲コンサート
 花粉の季節も真っ盛り。一番早く春を感じるのは杉の花粉たちだろう。彼らは、人々を鼻水とくしゃみで苦しめているなど知りもしないで春への喜びを歌っているに違いない。我々の春の喜びは、4月10日の名曲コンサートである。プログラムを見ると、児童合唱あり、組曲・舞曲・協奏曲それにモーツァルト「レクイエム」。よく言えばガラコンサート、ことばを変えればアラカルト・コンサート。これだけ多彩なコンサートは、そうはない。それぞれのスペシャリストが得意とする事をステージ上で繰り広げる。楽しみに春を迎えてほしい。NPOの主催コンサートなので、NPO正会員はご招待、賛助会員は1割引となる。今からの入会でも間に合う、この特典を是非ご利用ください。↑top

(3/10)NPO会員目標1000人!海外からの参加者多数「戦争レクイエム」
 1月の総会以降、新しい会員が5人増えた。NPO法人「おんがくの共同作業場」がそのネットワークを使って、個々の音楽家や合唱団だけではできない事を実現させていけたらと思う。目標会員1000人である。
 今年の7月末〜8月にかけてドイツ・韓国の合唱団を日本に招待し、麻生合唱団とのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、新星合唱団とのブリテン「戦争レクイエム」を共演することになった。
 その準備がNPOを中心として始まった。これは、これまでの友好関係を継続・発展させるといううえでも、音楽的交流の面でも、どうしても成功させたいと思っている。合唱団が日独韓、ソリストが日中韓なんて、こんな事が一人ひとりの力を結集すれば実現できるとは、今の時代にこんな素晴らしいことはない。
 私たちも、その一翼として活動できることを喜びとしている。
 なお、今回数名の方からこのホームページを通じてNPOの活動を広げるためのアイディアをいただいた。その案を受け止め、実現していこうと思っている。

(3/4)カウンターパンチの生かし方
 「郡司さん、あなたの書く文章はむずかしい。もっとわかりやすく、音楽界のことやコンサートの曲目を説明して欲しい」と1月末の第3回総会は、はじめからカウンターパンチ!他の理事、全く同感、僕もやむなく同感。
 改善と前進を続けるのが我らがNPO法人「おんがくの共同作業場(音場)」。さっそくレクイエム特集を発行、執筆を多くの人に依頼。欲しい人は、立川のカンマーザールに取りに来ていただくか、音場ホームページからダウンロードができる。↑top
(2005/2/16発行 レクイエム特集(A4/4page))

(はじめに)
 4年前、(財)新星日本交響楽団が東京フィルハーモニー交響楽団との合併・吸収を決める最後の新星日響の財団、理事会、評議員会で合併に反対したのは私一人だった。事前に、オケマンの総会で合併が決まっていたのでやむを得なかったのだが、東フィルの理事長がソニーの大賀氏で、弱者が強者に従わざるを得ない厳しさが見え、私は反対に回った。そして、オケの団員達も設立時の"新星日響"の理念を捨て、"東フィル"の一員となった。
 その会議中、新星の理事長でもあった黒柳徹子女史が、自分の首筋に香水らしきものを何度も振りかけ、その討論を無視していた姿が私の記憶に残っている。その直後、新星日響の楽団長であった榑松三郎氏が、「郡司さんがいつ立ち上がって、怒り始めるか心配だったよ」と語ったのも昨日のようである。そして、それ以来、私は"ユニセフ"は信用しない事に決めている。
 現在の東京フィルハーモニー交響楽団の仕事の忙しさからすれば、それはそれでよかったのかもしれない。当時、NHKのニュース10でも取り上げられ、合併・吸収反対派の急先鋒として私が紹介され、インタビューも放送された。新聞"赤旗"に事実と違う記事が掲載された事に対して、抗議をすると全く受け付けられなかったり、朝日や毎日の記者からの取材があり、時代を象徴する音楽界の事件を体験できたのは貴重だった。↑top

 僕は、終戦の年に、茨城県玉造町の農家の末息子の次男坊として離れの納屋のような所で生まれたが、育ったのは東京足立区の新田という下町だった。
 現場で働く人と家族の町の一角に保育所が出来、母が保母になり、その一室に父母と僕を含めた3人の子供たちが住むことになった。
 その保育園には週一度、町工場の青年たちが集まり、歌をうたっていた。後に"ちひろ美術館"の副館長を務めた若き頃の画家・箕田源二郎も子どもたちに絵を教えに来ていた。また、拠点を持たなかった"人形劇団プーク"もよく来てこども達を楽しませてくれた。夏の夜には町の人たちが集まり蓄音機でベートーヴェンの曲なども聴いていた。僕はいつもその中にいた。そこには一台の古ぼけたオルガンがあり、一人で耳から覚えたての歌を足で踏みながら音を探って弾いていた。
 これが音楽体験の始まりなのかもしれない。母は、日本の『メサイア』『天地創造』初演の合唱団員である。父も多少ピアノが弾けたらしい。↑top

 ≪NPO法人 おんがくの共同作業場≫の設立準備が始まったとき、自らその一員に加わったのは、それらの過去と無関係ではない。
 新星日響の設立者の一人でもあり、交通事故で34年の人生を終えてしまった池田鉄への想いもあった。大きく強いものに頼って生きるよりも、一人一人の小さな力を寄せ合いながら歩んでいくほうが、より自分にあっていると思うのである。↑top

 事務局長の島原 浩さんは、僕より一回りほど年上で、東大の工学部を卒業し、三菱重工の全盛期を支えた、まさに秀才といえる人、なにしろ「歩く」のと「思考する」のがものすごく速い。僕のほうが足は長いはずなのに、僕のほうが遅い。この人とだけは一緒に歩きたくないが、「思考」にはボケ防止のためにもついていこうと思っている。彼は時々頭の回転に口が追いつかず、助詞が抜けて言わんとすることを理解できない事がある程である。ミレニアム2000年のイスラエル・フィルに招待された折、東京からの奥さんのFAXをつい目にしてしまったが、初恋の人に書くラブレターの如く。最近奥さんは私に「うちの駄々っ子をよろしく」といい、奥方だけにはあの島原さんも頭があがらないらしい。
「仲良きことは美しき哉」(by武者小路実篤)。↑top

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